GOOD SWELL JOURNAL /

自分の音楽の原点は、紛れもなく小学4、5年生くらいからのラジオデイズで、家の居間にあった家具のようなステレオで、毎晩、7時半か8時くらいから始まるヒット・パレード番組に齧りついていた。今ではオールデイズとして語られるポップス、映画音楽のサントラ、そしてベンチャーズ、ビートルズも覚えた。そんな生活は高校生になっても続いて、深夜の音楽番組も小さなラジオにイヤフォンを突っ込んで勉強をする振りをしながら聴くようにもなっていった。以後、音楽を聴き続けるという生活は現在も続いているのだが、耳にし始めた、アメリカ、イギリスなどの60年代から現在までの音楽シーンで、一番好きなものは何かと訊かれたら、やはり60年代半ばから75年あたりまでのサンフランシスコかなあとたぶん答える。それは、音楽に限らず、当時の状況も含めての話だ。もちろん、リバプールもロンドンもニューヨークもLAも、その他の国、地域のものも好きだし、それぞれについて語れることも多いが、漠然と捉えるならやはりサンフランシスコ。そこで繰り広げられた音楽は、自分の世界を、憧れと共に生き方にも大きく刺激を与えたからだ。ヒッピー、コミューン、音楽と芸術とが、自由な生活を謳歌するためにあるのだと、それが大きく花開いた場所のように見えていたのだ。「花のサンフランシスコ」というヒット曲があり、サンフランシスコという街を意識するようになり、やがてはそこが自分にとっての聖地にもなった。最近、RHINOという、復刻版を出したら、決まって丁寧な仕事をするレーベルから『LOVE IS THE SONG WE SING-SANFRANCISICO NUGGETS 1965-1975』という4枚組が発売された。ディノ・バレンティの作った「ゲット・ツギャザー」から始まり、その曲をヒットさせたヤング・ブラッズの「ゲット・ツギャザー」で終わる。その間に、ビートルズなどに刺激を受けた多くのグループ・サウンズが詰っている。ジェファーソン・エアプレーンもグレイトフル・デッドも、その前身があり、それらの音源もあり、サンタナ、ジャニス・ジョップリンも当然欠かさない。日本のGSブームのとき、カーナビーツがヒットさせた「好きさ、好きさ、好きさ」は、ゾンビーズの「I LOVE YOU」の秀逸なカヴァーなのだが、アメリカではPEOPLEというグループが、やはり素晴らしいカヴァーで、アメリカでヒットさせた。ゾンビーズのオリジナルよりもずっと好い。ただ一発屋だったのだが。この音源ももちろん収録されていて、久々に耳にした。日本でも発売されたと思うのだが、当時ラジオで聴いて以来、40年振りくらいに聴いて感激。ヤング・ブラッズのジェシ・コリン・ヤングに憧れて(彼らは曲がヒットして印税が入ると、サンフランシスコ近郊の山村にスタジオを作り、仲間と共に暮らし、ラクーンという自主レーベルでアルバム制作などをしていた)、サンフランシスコに行ったのが1974、5年頃で、当時の音楽シーンを支えていたビル・グレアムの開いたフィルモア・ウエストは既に無かったが、まだ存在していたウインター・ランドには真っ先に行った。いまでは伝説ともなっている多くのバンドがここで演奏していたのだ。もう、フラワー・ムーヴメントの面影は無かったが、それでも自由な空気は流れていて、現在もその時の匂いや印象が記憶の奥底に残っている。ということで、この4枚組は、多くのガレージ・バンドと共に、サンフランシスコの優しい光りに包まれている。とにかく語りつくせないほどの個人的な音楽の原点が詰る。カラー写真も満載で、RHINOの仕事は本当に愛情を感じさせる。(h.n)