GOOD SWELL JOURNAL /

我が領土

もうずいぶん前のことで、その日はかなり暑い夏の日だった。四国の某市役所を訪ね、総合受付で涼みながら要件を伝えていた私の前のカウンターには、ところ狭しと古い記念切手が並べられた。
この意外な光景に要件はそこそこにすませ、この切手のわけを受付の女性に訊ねた。彼女のおじぃちゃんが最近亡くなり、彼のものを整理していたら切手のコレクションが大量に出てきたので、役所から住民に出す封書の切手にあてているのだ、という。そのため、5円、7円、10円といった切手から、当時の封書代80円の組み合わせを作成中なのだった。無事投函されれば、その分の切手代を彼女は市役所からいただいているのだ。
もし私がそこの住民で5円の記念切手が16枚も張られた封書を受け取ったならば、たとえそれが、税金滞納の警告であってもきっと喜んでしまうだろう。5円切手が16枚張られた、そんなチャーミングな封書をいまだ受け取ったことがないのだから、と思ったが、ここは市役所、公務員が総合受付という場所でそんな牧歌的なことをやっていいのだろうか、とも時間差で思った。 しかし、我が身を振り返れば、そんな公務員をしかる資格はない。そんなことより、ドキドキするほど気にかかるのは、彼女のおじぃちゃんのコレクションがここで切り崩されようといていることだ。
想像するに、彼女の家にはおじぃちゃんの意思を受け継ぐ者はなく、切手屋に処分しても額面の7割程度しかならない。かといって、この量は家族の日常で使いこなせろものではない。そういうわけで、先の場面になったのだろう。そんなに急いで処分などせず、みんなでおじぃちゃんはこんなものを集めていたのだね、とときに取り出し眺める日々も悪くはないとも思うが、私はそんなことをここで諭せる立場にない。なにしろ鯛ソーメンのおいしい店を訊きに来たのだった。 対象はなんであれ、個人のコレクションにはその人の嗜好が濃密に宿されている。ある思いを軸にしてコレクテッドしたもの結果がコレクションで、単なるものの集合体ではない。つまり、その人がほかの何かを犠牲にして、全身全霊を捧げ創りだしたもので誰も侵略することなどできないものだ。そこは何もないところから彼が築きあげた神聖な領土なのだ。
その領土が今ここで崩壊しようとしている。なんとか食い止めなければならない。そうだ、買ってしまおう。そんな思いは表に出さず、自分も記念切手には興味があるなどと、曖昧に言葉を濁し、その旨を伝えると、いとも簡単に承諾された。私は切手を選ぶようなまねごともしながら、結局全部いただくことにした。
さて、勘定である。これは記念切手だし、それもかなり昔のものだしねー、などとしたたかに彼女は実際価格の5割増しを提示したのだ。くどいが、ここは市役所。公務員がサイドビジネス、しかも本丸の職場で、こんなことがまかり通っていいのか。だが、良識ある人がそばを通りこのやり取りが発覚しては元も子もないので、即座に支払いをすませ、鯛ソーメン屋のほうへ立ち去った。
東京に帰り、その切手を眺めていると、彼がひとりコレクションを取り出し、それらに慰められた夜がいくつあっただろうか、と思ってしまい感傷的な気持ちになってくる。しかし、今もあの受付では彼の領土の切り崩しが進行している。いずれすべて無くなってしまうのだろう。そう思うと気分は重くなるばかりだった。
しかし、そうではなかった。ただただ食い止めたい。そんな衝動で買ってしまったが、私のところにある切手は彼の領土の飛び地であることに気づいた。全崩壊はまぬがれたのだ。でも、投函された封書に張られたものも小さな飛び地であるが、悲しいかな中身を取り出したらいずれゴミ箱という運命にある。(hy)