GOOD SWELL JOURNAL /

下山の哲学

節分も終わりもう立春。正月は少しゆっくりと過ごしたのですが、それ以降あっという間にこの時期になっています。国内では愛知から福井→石川→富山と回り打ち合わせ、そして夜はおいしいお酒と冬の日本海の幸を堪能していました。
富山から東京に帰る日は明け方から大雪となり、飛行機が欠航、電車で東京に帰ることになりました。そのことと食事のお礼を富山の知人に電話すると「これが北陸!」「これが北陸!」と北陸の自慢をするかのようにちょっと嬉しそうに繰り返していました。電車での帰り途は、真っ白く雪が積もった立山や田んぼに積もった雪景色を楽しみながらゆっくりと戻ってきました。そして、今は少し暖かいLAです。
さて、先日読んだ本にこんなことが書いてありました。これからの数十年は躁と鬱であれば鬱、そして登山であれば下山の時代だ、という言葉に「なるほど」と納得してしまいました。戦後の経済発展が躁であり、登頂であれば、これからの時代は鬱、そして山を下りる時代<ということでした。確かに今、新聞やニュースで取り上げられている世界的不況は単純な経済不況ではないように思えます。サブプライムがどうだとか、株価が下落したとか、ということよりももっと大きく深い本質的なことのように感じます。産業革命以来の大量生産、大量消費という経済優先の価値観、資本主義が別の価値観へパラダイムシフトしたのではないでしょうか。この本でいえば躁から鬱、そして登頂から山を下りる時代に入ったということなのでしょう。今、マジョリティーの人が携わっている仕事が製造業、販売業もしくはサービス業であり、その仕事は山を登ることを良とされ、どこまでも登って行くことを目標とされていました。だれもそれを疑わずにここまできてしまいました。山の下り方なんて誰も知らないし、教えてもらっていない。でもこれからは下りなければならない。山を登るように目標を持ち、哲学を持ち、山を下りることを優雅に安全に、そして楽しんで行く時代になるようです。 そして、この本にはこんなことも書いてありました。人生で必ず訪れる憂鬱に出遭った時は頑張らず、肩をすくめ、背中を丸めてしゃがみこみ「あーぁ」と体全体から大きなため息を三度、四度、五度六度でも繰り返してつけばいい。そうやって全身でため息をついていると、不思議と一瞬、束の間だけど憂鬱が軽くなったら、とりあえず立ち上がって歩いていけばいい、と。これが下山の哲学なのかもしれません。 遅くなりましたが今年も大きな深呼吸をして上にある目標ではなく、先にある目標に向かって歩いていきます。よろしくね。(ht)