GOOD SWELL JOURNAL /

クウェスキン・スウィング?

いつもこのアルバムを聴くときに、必ず思い出してしまうことがある。たぶん90年代の雑誌記事だったか、それは「ジム・クウェスキンは『アメリカ』というアルバム以降はインディペンデント・レーベルからポツリポツリ出してはいるが、『アメリカ』を超えるようなものではない」といった内容だった。
60年代のアメリカでは、現状へのアンチテーゼがいろいろな分野で行われ、音楽シーンもその例外ではなく、大学生たちにより戦前のブルース、ジャズ、フォーク、カントリーへの回帰と見直しによりフォーク・リバイバル・ムーヴメントが起こった。
そんな時代の真っ只中にいたクウェスキンは戦前の黒人たちのジャグ・バンドに傾倒し、自らのバンドを立ち上げ、数々の名盤を残した。やがてディランをはじめ、いろんなミュージシャンがポピュラリティーを持ちはじめるとアンチのニュアンスは薄れていき、そんな状況に音楽ファンの一部は苛立ちをあらわにしたが、当のミュージシャンたちは古い歌をうたい続けることで、その歌が生まれた背景から多くのことを学び、歌をアンチの手段にはしなくなったのではないだろうか。
1971年にクウェスキンのソロ名義で出された先のアルバムは、アメリカ人なら誰でもが知っている古いフォーク・ソングやブルースで、どの曲も心にひびくものばかり。変ないいかたになるが、アメリカ人の彼からすべてのアメリカ人たちへ向けられた真摯な歌だった。ラストのフォスターの名曲「オールド・ブラック・ジョー」の世界をここまで深く掘り起こしたものを、私はほかに知らない。
すみません。前置きが長くなってしまいました。今日は先の記事から世紀を跨ぎ手にしたポツリポツリの1枚で1979年のもの。当時のインディペンデントによくあるビジュアルに手間暇をかけないジャケットで、中身が懸念されるが、ここはひとつ勇気をだして。
「オン・ザ・サニー・サイド・オブ・ザ・ストリート」「エインツ・ミスビーブン」「サイド・バイ・サイド」などどれもスタンダードなものばかりで、確かに『アメリカ』を超える世界ではないが、そのひと言ではすまされないものがある。その落差にも驚くけれど、どれも軽いスウィング感があり、肩肘をはらないで聴ける魅力はすて難い。音もいたってシンプルで<軽みへの誘い>といったらいいだろうか。ビッグ・バンド・ジャズのような派手なスウィング感はなく、あくまで肩肘をはらないスウィング。これはもう、クウェスキン・スウィングといってしまってしまいたい。
なかでも「イッツ・ア・シン・テル・ア・ライ」は圧巻である。この曲は広く日本でもうたわれ、邦題は「嘘は罪」。そんなしっとりしたバラードをライブ音源なのか、それともスタジオでのライブ風の音撮りなのかはわからないが、最後のほうでお客をまき込み一緒に朗々とうたいあげてしまっている。これも彼流の<軽みへの誘い>のバリエーションなのです。「桜の花が散ったからといって、悲しむことはない。春が終わってしまったわけではないのだから」そんな彼の言葉が聞こえてくる。もちろん、『アメリカ』も聴いてほしい。(hy)