GOOD SWELL JOURNAL /

ほとばしってしまう浪花節!

昨年末に東京駅の修復状態を見に出かけたが駅舎はフェンスで囲まれていた。出来てからのお楽しみということなのか。しかたがないので、駅の近くで待機しているはとバスに乗ることにした。皇居前を通り、官庁街、東京タワー、レインボウ・ブリッジを渡り、お台場から築地市場跡地といわれている所を左に見て、最後は銀座をまわる一時間コース。
東京タワーに向かう手前の愛宕神社近くで、バスガイドさんはこの神社の八十六段の石段を一気に馬で登りきり、将軍家光公から日本一の馬術の名人とお墨付きをもらった曲垣平九郎。このはなしは寛永三馬術のなかの一席、「愛宕山梅香の誉れ」という講談で有名であると。
確かにそうです。ガイドさんを責めるつもりはないが、しかし講談や浪花節で、といってほしかった。今日紹介するのは、浪花節のほうの「曲垣と度々平(どどへい)」「大井川乗り切り」の二席。寛永の馬術の三名人とは、備前唐津寺沢家の筑紫市兵衛、それからここに登場する筑後柳川立花家の向井蔵人と讃岐丸亀生駒家の曲垣平九郎。
二席のあらすじは馬術の極意を盗むべく度々平と名を変え中間を装い曲垣のところに入り込んだ向井蔵人。身分がばれてははもともこもないので、曲垣の身の回りの世話を完璧のやりこなす度々平。しかし、仕える身でありながら主人を主人とも思わない度々平の口の悪さ。しかし、その言葉にもひとつの理があり、激怒しつつも受け止めざるをえない曲垣。そんな主従関係転倒のおもしろさが存分に味わえるのが「曲垣と度々平」で「大井川乗り切り」は度々平の不始末がもとで丸亀藩を出、浪人の身になった曲垣。二人がお金も腹の底もつきたところ、川止めをくらい、二頭の馬を大井川の対岸に渡せずにいる親子いた。度々平はこれで飯にありつける、と安請け合いをし、曲垣に懇願したが、飯もほしいが命もほしいと断られてしまう。自棄のやんぱち、度々平はひとり手綱を取り馬に跨り荒れ狂う大井川へ。度々平の手綱捌きを見、曲垣はわしの極意を盗みおって、やはりただの下郎ではなかったか、と向かっ腹をたてるも、浪人の身にある自分に律儀に仕える度々平がかわいくもあり、曲垣はもう一頭の馬で、度々平を自分の鞍に引き上げ迫りくる流木をかわしながら乗り切る。
とはゆうものの、浪花節?それなんですか?と訊ねられることがしばしばあるので、すこし浪花節の説明を。曲師の三味線をバックに演者の節(フシ)と啖呵(タンカ)で成り立ち、節は物語の時代や登場人物やことの成り行きなどをメロディーにのせたもので、啖呵は人物の科白です。ここはこれくらいにして玉川奈々福のほうへシフトしよう。
彼女の最大の魅力は啖呵にある。この二題では勝気で蓮っ葉でありながらチャーミングな度々平が活き活きと動き回っている。なかでも大井川での安請け合いを曲垣にお願いするも即座に断られた後のくだり。「なに、命が惜しい?笑わせるな。日本一の曲垣がきいてあきれらー」とまさに啖呵を切るシーンで、逆巻く波もほとばしっているが、それに負けじと奈々福の啖呵もほとばしる。これで彼女は聴くものの溜飲をきっちり下げてくれ、こちらも晴々しい気分になってしまう。70年代に東映のヤクザ映画を見おわった観客がキモチ外股で映画館を出てくると揶揄されたが、そんなカタルシスがここにある。そんなカタルシスは前近代的なものとスルーしたい人は、ぜひ奈々福のライブを観てほしい。
この二題は4ヶ月の1度、関東唯一の浪花節の定席、木馬亭で『玉川奈々福のおはようライブ ほとばしる浪花節!』と題したネタおろしの口演にかけられ成長したものだ。毎回土曜日の朝10時30分からネタおろしものと持ちネタの二題に彼女のすばらしい笑顔つき。それで、なんと500円。この木戸銭も前近代的であるが、あなどってはいけない。そこには全身全霊を浪花節の捧げた奈々福のうつくしい姿があります。
しかし、彼女が舞台に立ち口上をひとことで、会場の空気がふっと華やぐ瞬間は行った人でしか体感できないし、残念なことにこのCDにははいりきらない。やっぱり浪花節は生にかぎる。それでは、いづれの日にか奈々福のライブでお会いしましょう。(hy)