GOOD SWELL JOURNAL /

ふたりの掃除婦

狭いわが家にふたりの掃除婦が同居することになった。素性はよく判らないが、アメリカ映画に登場する街道筋のドライブ・インでトラック野郎の相手をするウエイトレスといった風情である。そういうわけだから、当然グラマラス。
高円寺や下北沢の古着屋でよく見かける花柄のロングスカートにウェストラインを強調したブラウスは、胸元がざっくり開いる。しつこいが、グラマラス。
グラマラスであるかないかより気になることは、彼女たちは着の身着のままの手ぶらでやって来た。明日からの着替えもそうだが、その前に今夜のパジャマ?寝間着?は、どうしたものか。そんなことをよそにふたりは広いほうの6畳間で横たわったままだ。まぁ、いいや。長旅で疲れているのだろう。好きなだけ眠ればいい。
しかし、彼女たちは掃除婦だ。掃除をするためにわが家に来てもらったのだ。もう十分に休んだだろうし、そろそろ起きてもらい、その任務を遂行してもらいたいものだ。ウエストのくびれに右親指をあてがい残りの4本をお尻(失礼)にフィットさせ、机上の消しゴム滓を手首のスナップをきかせ2,3回。
なんとすばらしい使い心地?もしくは握り心地?どちらかとは瞬時には決められないが、明日からなにかとゴミを探し回る浅ましい自分の姿が目に浮かぶ。
元来掃除好きというわけではないが、手箒はずいぶん以前から大きめのものから小さいものまでいくつか持っている。かるいスナップでごみを払ってしまう快感は次の作業に気持ち良く移行できる。その余禄が、なによりも気にいっている。
しかし、気になるのは彼女たちの服のほころびである。わが家に来るまでにどれだけの主人に仕えてきたのだろうか。このほころびは、誰が見ても自分たちの仕事を十分にこなしてきた証である。それに、疲れきった虚ろな眼差し。この眼差しで見つめられてしまっては、もうこれ以上彼女たちに仕事は頼めない。
すべての人びとに余生を気ままに暮らす自由があるように思う。そうだ。ここらで彼女たちにはリタイアしてもらい、狭いわが家ではあるが、その余生を気兼ねなく過ごしてもらおう。
それにはまずふたりの名前からだ。それさえ私はまだ知らないし、姉妹であるかも。それになんといってもこの美貌。彼女たちのロマンスなども実に気になるわけで、訊ねたいことは山ほどある。
もちろんふたりが出かけたい時は出かければいい。その時の身づくろいは、ぜひ私に任せてほしい。用具はしっかり揃っているし、スナップはおてのものなのだから。(hy)